おかぴーのビジネス・メンタルタフネスBlog

乳腺外科医おかぴーがそのなが~い診療経験と多種多様な人間との人付き合いからみた、ビジネスとメンタル・コミュニケーションについてのブログ。

『意識高い系が嫌いなんじゃなくて。 意識高くなりたいと思ってる人が、他の人を見下すのが、 自分は嫌いなんだ、って気づいた。。。』ってつぶやきに至るまで。

ダイヤモンド社で行われたHBRの読書会で起こった、

もやもやした気持ちをブログ書いてもすっきりせず。

 

なんだろーと思っていた。

 

部屋も片付かず、料理してすっきりするけど

すぐ元どおり。

 

 

そんな時にまた、どっかのSNSで見下し系の発言を見てしまい、

さらにイライラ。。。

 

自分の場合、イライラすると

反動でぼーっとしてしまう。

 

ぼーっとしていたらふと、思いついた。

 

意識高い系のAさんはイラッとするけど

同じ意識高い系のBさんはイラッとしないのは

なんでだろう。

 

ふたりの違い。。。。。

 

。。。そうだ。やってることが違うんだ!

 

やっと、気づいたんだな。

意識高いことと、行動は別物だってことに。

 

で、気づいた。

私が『意識高い』って思ってる人って本当は違うんじゃないか。

本当は『意識高く』なりたい人なんじゃないだろうかって。

 

で、表題のつぶやき

『意識高い系が嫌いなんじゃなくて。意識高くなりたいと思ってる人が、他の人を見下すのが、自分は嫌いなんだ』

に至った。

ハーバードビジネスレビュー2月号読書会 その2 優しく見えるのも大変だ。

前回、エリート風についてこき下ろしw

あとで、友人達からコメントをいただき、

同じ様に考えている人達が沢山居る事を知った。

 

私が何でエリートと感じたのかを分析すると

 

実は、今までも仕事場で同様の事があって、

その度に同じことを考えるのだけど、

 

そんなことは皆さんもちろんご存知ないと思うので、

書いておこうと思う。


まーまーイラっとすることの中に

過剰なアピールというのがあるんだけど

 

具体的には、

他人を使って自分を格上に見せる、というやり方だ。

 

言い返さなそうな優しそうな見かけの女性(今回これ、自分)に

強い発言をして驚かせたり

 

その場合、その人は、まあ、初めて会ったばかりの人に

◯◯という若干失礼な名前をつけて、

その名で討論中に相手を呼んだりするんだよね。

 

まあ、挑発してるわけ。
ネガティブキャンペーンの一手法

もちろん誰も相手にしないんだけど。。。

 

だけど、、、ねえ、

だけどね、初対面ならさ。

やるんなら自分でやれよ。

 


アメリカ大統領選とか
お互い全く知らない相手ではないし、

感情があるから、無視できると逆に際立ったりするわけだが。

 

 

初対面の挑発は、

無駄。

どころか

下手したら失礼

 

自分はこうした中途半端なエリート風

本当に嫌いなのだ!

そして、そんな人との名刺交換は死んでもやってやるかと

思ったりする。

 

 

そんな心のつぶやきは

『優しそうにみえるのも、

案外楽なことばかりじゃない。。。』

 

世の優しいと言われる人たち

共感してくれますか?笑

f:id:naoon5031:20160211185009j:plain

てか、エリートの定義を間違っているような気がしてきました。

てことで、またタイミングがあったら出席してみようと思います♫

ハーバードビジネスレビュー2月号読書会 その1

きたー!

またもきたー!

すでに2月目にして相当なプレッシャーを感じる読書会が!

 

先月より読み始めたこの雑誌。

厚い。。。

もちろん1日では読めなかったです。

 

実は今回ちょっと時期がずれている。

二回目なのにずれてるもなにもないんじゃない?
と突っ込むアナタ、さすがです。

 

そう、今日は違う読書会にきちゃったのです。

なんと、出版元。

そう、天下のビジネス雑誌出版元、ダイヤモンド社


f:id:naoon5031:20160208231218j:plain

 

会社を間借りして開かれた読書会は

参加者約60名超の大所帯。

 

今回のお題目は『人を巻き込む技術』

 

あれ、どっかできいたような。。。

と思いましたが、中身は多岐にわたり、


製薬会社の社長の独り言だったり、

 

’自分らしさ’にこだわりすぎると、

組織ではリーダーシップが取りにくい。

なぜなら、リーダーシップという新しい役割を行うにあたり、

どうしても今までと違うことをしないといけなくなるからだ。

という原点回帰ブームを逆なでする論文だったり。

 

また、

最近の自己実現ブームを逆手にとって

上司の方が部下に何かを与える存在になり、

それから自分の思う方向にひっぱれ、

などという戦略的な内容まで。

 

めっちゃ刺激的でした!

 

どうやって組織に合わない部下を扱うか、

または彼らに解雇を告げるか、

 

そういうシビアで到底ここには書けないようなお話も💦

 

きている人=発言している人の多くは

誰でも名前を知っている大企業のエリート候補生みたいな人たちで、

他は起業家とか保険屋さん。

 

自然に企業の内部でのお話になったのですが、

 

感心したのはコーチングを自然にやってるし医療業界の文化と全然違うこと。

そしてプレゼンが時間内に終わり的確な内容。

そして強気(エリート風?)。

 

 

難点は、

 

できない奴、とか、能力のない奴、という発言が耳についたこと。

エリート風というのだろうか。。。

ってこれは私の偏見かしら?笑

 

加えて"巻き込む"ことの定義がイマイチはっきりせず。

 

組織に馴染む方法として、

人巻き込むか、理解しあうあるいは追従する、

そのどちらかだ、みたいな話をしましたが

(え、してない??)

今回はその二つについて明確な論議なし、残念モード。

 


‥エンターテイメント。

これ、エリートの風がビュンビュン吹くエンターテイメントだ! 

 

 

ディスカッション好きの良い気晴らしの場。

だけど、、、むくむくと"デキる"人に対する葛藤が生じてしまう、

情けない自分なのね。

 

帰り道、VCの方とご一緒させていただき

楽しく話をさせていただいたのですが、

『じゃ、またこの会で会いましょう!』

と言われて

『ありがとうございます、、、、や、多分来ません!』

といった、

へそ曲がりなおかぴーなのでした笑

愛(じぶん)をとりもどせ!

実はおかぴーは、病気の人をたくさん診てきたドクターなのだが。

このコーチングの話を聞いて、ふと浮かんだことがあるのね。

この話の中で、

 

パーソナリティー

役割

 

を分ける、

これがあったけど。

 

役割っていうのは

父、とか、母 とかも含まれるんだって。

 

 

だから、母としての欠点を女性に突き付けられると、

その人はすごく傷つくわけだ。

 

 

ま、はっきり言ってですね。
乳がんの患者さんは、神経質な人が多いです。
まじで。

長ーいこと、付き合うんだよね。
がん、っていう病気と。

だから
病気と自分が一体化してるんだ。


わたしもそういえば、あった。

自分自身も保育園に入る前からアトピー
見かけにダイレクトに繋がる病気なもんで、
思春期の乙女としてはなかなか辛かったわけですね。


まあ、そんなこんなしてるうちに
大人になって
なんとなくよくなって、


いつの頃か、じぶんで病気をコントロールする術を覚えたわけだが。



じぶんの病気をコントロールできないと
そりゃまあひどく傷つくわけだ。


でも、しょうがないよね。

生まれ持った遺伝子だったり、
生まれてきた環境だったりするわけで。


そう考えると、

病気じゃない部分のじぶん、
これと、
患者のじぶん

これがあるわけだ。


これを分けて考えると、ちょっと面白いことが起きそうだよね。

病気があってもなくても、じぶんは自分なんだ。

マイ・コーチング・ヒストリー

コーチングについて続き。

実は自分のコーチング歴(?と呼ぶには申し訳ないが)は結構あって。

外科に入る前に内科レジデントっていうのをやっていた。
総合診療科っていうところで
本当は不明熱とか原因不明の筋力低下とか、
そういう小難しい病気を診る科に居たんだけど。

 

まあそんな患者さんはそうそう来なくて、
研修医指導もお仕事だった。

研修医指導チームというのがあって。

その中でコーチングの本を一冊読んだなあ。

 

人間をタイプ分けするありがちなパターンから
(これ本当にみんなすきだよね??笑)

チームをつくり、

2チームで指導をしていた。

 

どっちも中の良いチームだったけど、
一つは明るく楽しく毎晩飲むぞ! みたいなチームで


うちはのんびり穏やか、悪く言うと地味なチームだった。

 

 

どちらのチームも本当に指導が難しくて、
もう一つのチームでは研修医が一人 うつ病になってしまった。
なんと、一番優秀な研修医だったので、指導者一同、本当にショッキングな出来事だった。

はっきりいって、うちの病院はそのハードさに加え、
やってくる患者も個性豊かで、
精神的にもめちゃめちゃハードだった(なんとうちの科は救急当番初動も担当していた)
自分はもともと、そんなに敏感な方ではなく、
初期研修もそんな患者相手に戦闘状態だったんだけど(周りは相当ヒヤヒヤしたらしい)

やってくる研修医たちは繊細な子も多くて、
本当に本当に優秀だった。

 

うつ病の責任をみんなで感じ、
ずーっとチームでフォローし続けた。

 

うちのチームもうつ病にはならなかったものの、
中間管理職である自分には相当負担がかかったので、
一時期チームを抜けたことがある。

 

自分で戦闘してきた人間が、
新たな環境で学び、
他人の面倒を見るというのは、
社会人5年目の自分には相当重いことだった。

 

 

以降、ずっと誰かを教えるということに対しての苦手意識を持っていたのだが、

以前大学で学生に超音波と採血を教えてあげたら
学生が湧き上がって喜んだのを見て、
"自分にもできるんだ"と感動して、

さらに一昨年夏に東京にかえってきた時に、
なんとなくやる気が起こらなくて
初めてお金を払ってコーチングを受けたことが
コーチングへの興味を沸かせた。

 

まあ、コーチングははっきり言って、
簡単に取り組めるようなもんじゃない。
ここまでずっと"コーチング"と書いてきたけど、
実は上記のような事態に対処するのは"カウンセリング"だから。

 

 

カウンセリングについては知識がないから書かないけど、
おそらくもっと技術が必要で。
コーチングよりも、
実はいろんな人に必要なものかもしれない。

コーチングの条件とグローバルリーダーあるいは個人事業主

昨日は友人が参加したイベントに相乗りした。
私のブログ読まれた方はわかると思いますが、、
はい、見事にひっかかりました笑

 

しかし、とても興味深い話で引き込まれました。
(若干説明と内容に差があったのは目を瞑ってw)

 

 

内容はコーチング。

まずは知性の発達段階のお話。
ネタバレになるので、詳しくは書けないんだけど、
その方の説によると大人の(!)知性の発達段階には3段階あって。

 

 

コーチがクライントより
レベルが高いあるいは同じだとうまく行く
けど、そうでないと辛い関係になるんだって。

 

ちなみに、
自分で自分を変えられるスキルまで行ける人は
ほんの1パーセント!

 

それと、

コーチングにも段階があって。
やっていい人と悪い人がいる。

パーソナリティー

期待される役割
がきちんと分けられている人でないと難しい。

 

 

人は長期にその役割についていると
一体化してしまい、

欠点を指摘されるととても攻撃的になってしまう。

個人事業主はフィードバッグがあまり入らない

わざとじぶんに揺らぎをつくりフィードバックを取りに行くそれくらいじゃないとうまく行くはずがない

 

 

長期間同じ仕事についている人ほど、自身のパーソナリティーを見つけることが大事なんだ。

年寄りが頑固なのは、同じことをずっとやってるからかもしれない。

グローバルリーダーの条件として、
M&A先で評価をあげて、なおかつ自社でも評価をあげるというのが絶対条件らしいが、これは組織の話。

 

 

新しい組織でのフィードバックを素直に受け取れるかどうか。
パーソナリティーと仕事を別に回せるか。

 

ちなみにわたしはといえば
『仕事だけはきっちりしてるよね〜』
と昔からいわれる解離型。
最近は一体化してきて、
『お、医者っぽくなってきたじゃん』
なんて思ってた。でも、どうやらそれは危険らしい。

 

 

解離しているとシャチョーなんかできっこないし
なんとかしたいなあと思っているのだ。

 

 

自分は今まで周りを巻き込む巻き込み型だったので、これからどうやっていけるか。自分でサイクルを回せる1パーセントに入りたいなー。

でもそれも寂しいししんどいらしい。。。
こんなこと言ってたらいつまでたってもはいれない笑

人との出会いが自分の世界を変える。

9.11貿易センタービルテロリストを父や叔父にもつ、

「テロリストの息子」ザック・エブラヒム氏の講演をyoutubeで視聴した。

 

暴力を闘争の解決策として使うこと、それは決して平和をもたらさないことについてをメインに話をされていた。

詳しい論調は専門家に譲るが、

注目したのは、その考え方の変化。

話された内容に即して、書いていこうと思う。

 

***************


テロリズムの中では
一つのイデオロギー(思想、観念)に子供を味方につけて、
そのイデオロギーを強化しようとする。

 

過激主義の中で育った子供は

暴力が当たり前になる。

ただ育つだけでなく、親や本人が虐待された経験を持つということ。

その怒りが、いつか、暴力となって現れる。

 

実はイスラム教で言われるジハード(努力や奮闘)は、人によって異なる。

日本では聖戦と訳されることが多いが、本来はそうではなく、

家族を大切にすることなどの、目標に対して努力する、ということらしい。

 

彼は父親の過激なジハード遂行のため、子供の頃19回も引越しをし

また、アメリカに対しては性的な退廃、また超個人的である、

というイスラム社会の教育を受けた。

 

子供の頃、仲間外れやいじめにあっていた彼に、

渡米して初めてできた、ユダヤ人の友達。

同性愛の友人たち。

 

彼らに逆に癒され、そして、彼らの偏見のない眼差しにとても感銘を受けたという。

そして、人間の性格は宗教ではなく個人の嗜好や、

所属するコミュニティーによるものであるということに気づいた。

 

違うコミュニティーであっても、

コミュニティー同士で対話をすること、

同じ時間を過ごすことで、

理解をしあうことができる。

 

ISILのような組織は、コミュニティーから外れた人を集める。

恐怖を煽って、外れてしまった人を集めるのだ。

 

しかし、暴力で平和を作ることはできない。

 

自分の父親がやったことを恥じ、今まであったことを話せなかったが、

自分が話すことで

世界が抱えている問題を構成する

固定観念を壊すことができるのではないか。

 

そう思って話すことを決意した。

現在アメリカでは、一部でイスラム教徒への差別があり、

彼は今はイスラム教徒ではないそうだが、
しかし特異な経歴ゆえに、話すことに注目される。

こういう状況が、

父と自分は違うということを伝えた背景にあるようだ。

 

メディアについての問題も提示され、

3.11後のコントロールされた報道へも言及した。

 

**************

アメリカ大使館主催ということで、
裏読みをしたりする人もいるとは思うが、
人との出会いが、彼を変えた。

それは真実だと思う。

そして、常々感じるのは、どちらのコミュニティーも、
その観念を真実だと思って疑わない、そんな人たちからできている。

f:id:naoon5031:20160127172056p:plain